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ブラック・ウェンズデーについて

1992年、あるひとりの著名な投資家が英ポンド売りを仕掛けました。その結果、当時統一通貨ユーロの導入を目指していた英国は欧州為替相場メカニズム(ERM)からの脱退に追い込まれました。外為市場で発生したこの稀にみる一大事件は、のちに「ブラック・ウェンズデー」として語り継がれることになります。ここでは、その「ブラック・ウェンズデー」について解説します。

Source: Bloomberg

『A Re-Examination of Britain’s experience in the Exchange Rate Mechanism』の著者であるAlan Budd氏はブラック・ウェンズデーについてこう述べています。「あの出来事を簡単に言うならば、英国はやけになってEUの前身であるERMに入り、面目を失ってEU入りをあきらめた。それにもかかわらず、英国はEUの利点にしがみついてきた」と。

ブラック・ウェンズデーから四半世紀以上の時が流れました。しかし、政治的にも経済的にも英国に大きな変化を促したインパクトは未だ英国社会に根強く残っています。それほどブラック・ウェンズデーの影響は大きかったのです。

ブラック・ウェンズデーの背景

第二次大戦後のイギリス経済は力強い成長と緩やかなインフレーションによって支えられてきました。しかし、この流れは1970年代初頭に変化することになります。

英国政府がインフレを抑制するために為替の変動を容認した1972年まで、英ポンド相場は固定相場制でした。変動相場制の下、英ポンドの価値は金融市場の需給関係をベースに決定されるようになりました。

変動相場導入はのちにユーロと呼ばれる統一通貨を導入する計画-「スネーク」の一部でした。しかし、投機アタックによって英ポンドが急落した後、「スネーク」計画は頓挫しました。そして英国政府は統一通貨ユーロに対するリスクを真剣に考えるようになりました。

1973年以降、中東の産油国は米国に対する禁輸措置により石油市場の支配権を勝ち取りました。これを受け、行き過ぎたインフレを背景に英ポンド安の圧力が高まりました。当時、第四次中東戦争が勃発。原油価格は翌年までに4倍に上昇しました。また、供給不足による食料価格の上昇も重なり、英国のインフレ率は1970年初頭の5%から1975年には25%以上へ上昇しました。1976年、史上初めて英ポンドが2ドルを下回った際、政府は金利を引き上げることで英ポンド売りを抑制しようとしました。しかし、この時英国は外貨準備が枯渇していたためIMF(国際通貨基金)の支援が必要でした。IMFは39憶ドルを支援する見返りとして、英国政府に緊縮財政を求めました。

その後英国政府は、1980年代を通してインフレーションや英ポンド安の対応に明け暮れました。英国政府の対応が功を奏し英ポンドは上昇しました。インフレも1985年に5%を下回りました。しかし、その後も高止まり傾向にあったため、英国政府はインフレ抑制のための政策を続けました。

英ポンド/米ドルの推移(1971年2月~2018年6月)

英国政府が英ポンドの安定を重視したのは通貨統合のためでした。1980年代後半、英国政府は「1英ポンド=3(2.95)ドイツマルク以下」の水準を維持しようと努め、事実上、ドイツマルクとの固定相場を導入しました。しかし、当時の英国のインフレ率はドイツの3倍もありました。

ブラック・ウェンズデーと欧州為替相場メカニズム(ERM)

欧州為替相場メカニズム(ERM)とは、欧州連合(EU)の前進である欧州経済共同体(EEC, European Economic Community)の加盟国が導入した為替レートを調整するためのメカニズムです。ERMは1979年に導入されました。

ユーロを導入する前、加盟国は欧州通貨単位(ECU, European Currency Unit)という共通通貨を導入しました。この通貨を導入するにあたり、加盟国は為替相場の変動幅を±2.25%の範囲内に抑えることを原則としました。この原則を維持するため、EECは減価している通貨を買い、増価している通貨を売るということを繰り返しました。

1975年、英国はEECへの加盟を継続すべきかどうかを問う国民投票を行いました。その結果、67%の国民がEECに留まることを支持しました。
ERM発足度当初、英国は参加を見送りましたが、保守党が政権を奪取すると欧州統合の流れを重視した多くの閣僚は、当時の首相だったマーガレット・サッチャー氏に対してERM参加を促しました。当初、サッチャー首相は通貨統合への参加を拒み続けてきました。しかし、1990年にERMに参加することを決定しました。

サッチャー氏に代わり首相に就任したメージャー氏は1990年10月以降、ERM参加に前のめりになりました。しかし、サッチャー政権時代に回復した英国の経済は、メージャー政権時に再び不透明感が高まりました。特にインフレの上昇は深刻でした。メージャー首相はインフレ抑制のためにERMを政策の中心に置きました。英ポンドの価値を上昇させることでインフレ圧力を抑制しようとしたのです。しかし、この政策が「ブラック・ウェンズデー」を招くことになりました。

ブラック・ウェンズデーに何が起こったか

英国がERMに加入した時、英ポンドはイタリアのリラやスペインのペセタと並んで最も価値の低い通貨でした。特に欧州の経済大国へと復活と遂げたドイツの通貨マルクとの価値に開きがあったことから、当時何人かの評論家は英国がERMに加入するリスクについて指摘していました。しかし、英国政府はERMに残るよう努力し続けました。

その努力もむなしく、英ポンドは主要通貨であるドイツマルクを含め、当時増価傾向にあった他の通貨に対して6%以上下落しました。当然、英国政府には英ポンドの価値を増価させるよう各国から圧力がかかりました。そこで英国政府は英ポンド安を抑制するため、金利を引き上げることを決定しました。また、イングランド中央銀行(BoE)に対しては、英ポンド買いを要請しました。自国通貨買いの準備金として約300億英ポンドが費やされることになりました。

しかし、高金利政策によって英国経済は疲弊し、結果的に英ポンド相場を支えることができませんでした。

実体経済に沿った金利の上昇ならば問題ありませんでした。しかし、英ポンド安を抑制するためだけに実施された金利の引き上げは突然かつ3年ぶりのことでした。当然、マーケットは英国政府の場当たり的な対応についていけず混乱状態となりました。英国産業連盟(CBI)は、政府の無作為が住宅市場に与える悪影響についていち早く批判しました。のちに英国政府は金融引き締め政策をあきらめます。

イングランド中央銀行の金利チャート

(出典:イングランド中央銀行 政策金利は商業銀行に課される金利で、銀行が顧客に提供する金利に影響を与える)

ブラック・ウェンズデーとドイツ連邦銀行

先述したとおり、EEC加盟国が統一通貨ユーロを導入するためには、各国の通貨の価値を一定の変動幅に保つ必要がありました。簡単に言えば、増価傾向にあるドイツマルクを売って、減価傾向にある通貨-例えば英ポンドを買うことが常に求められました。そこで重要な役割を担うと思われたのが、当時、ドイツの中央銀行であったドイツ連邦銀行でした。

しかし、ドイツ連邦銀行はその役割を担うことはありませんでした。彼らは英ポンドの購入に納税者のお金を使うことは無意味であるという考えを持っていたからです。最大の支援者と目されたドイツ連邦銀行の支援がなくなり、英ポンドは下落基調を辿りました。この下落に対応するため、イングランド中央銀行(BoE)はブラック・ウェンズデーにかつてないほど多くの英ポンドを購入することになりました。1時間の間に20億英ポンド購入する時もありました。

ジョージ・ソロス氏登場

「マーケットは常に不確定で流動的な状態にあり、金は誰にも明らかなことは割り引いて予想外なことに賭けることによって作られる」という有名な名言を著名投資家であり大富豪のジョージ・ソロス氏は残しています。そして彼こそ、ブラック・ウェンズデーの主役だったのです。

同氏は、ブラック・ウェンズデーが発生する1ヶ月前まで約12憶英ポンドを購入していました。しかし、当時の英ポンドが実体経済にそぐわない程高止まりしていると見抜き、一転して英ポンド売りを仕掛けました。国家に挑むこの「賭け」により、ソロス氏は約10億英ポンドという巨額の利益を得ました。同氏の投機アタックは伝説となり、金融史にその名を刻みました。

ソロス氏は、自身が立ち上げたファンド「Quantum Fund」を通じて英国債を借り入れ、それらをより安い価格で買い戻す前に清算するよう指示しました。後の報道で、最終的に同氏は100億英ポンド相当の売りポジションを建てていたことが判明しました。

ブラック・ウェンズデー後

ERMからの脱退は英国をさらに苦境に追い込みました。また、統一通貨構想自体を破壊する恐れもありました。欧州の金融政策委員会は英国脱退の教訓を活かし、南欧諸国が英国と同じ道を辿らないようERMをより柔軟に改変していきました。

ブラック・ウェンズデーの際、イングランド中央銀行(BoE)は英ポンドを購入するために約130億英ポンドから270億英ポンドの資金を投入したと予想されていました。しかし13年後、実際に投入された資金はたった33億英ポンドであったことが判明しました。これは機密指定の解除がされた財務省の報告書で判明しました。

1999年、ERMはERMIIへと改変されました。変動幅は上下15%とERMより広範に設定され、この変動幅を超える場合は無制限に介入する方針が採用されました。尚、ERMIIへの参加は任意でした。

ブラック・ウェンズデーの後もメージャー氏は首相の座に居続けました。しかし、政権への不信感がピークに達すると1997年に総選挙を実施。トニー・ブレア率いる労働党に政権の座を譲ることになりました。1998年、ブレア政権はイングランド中央銀行(BoE)の独立性を認め、政治と金融政策の分離を推進していきました。

ブラック・ウェンズデーかブライト・ウェンズデーか

ブラック・ウェンズデーは、英国のみならず世界の金融市場に大きな影響を与えました。しかし、英国経済に利益をもたらしたという指摘もあります。ブラック・ウェンズデー後、金利が7%に引き下げられたことで、1993年から1994年までにインフレの低下に伴い経済は回復基調へ転じました。このため、英国にはブラック・ウェンズデーを「ブライト・ウェンズデー」と言う人がいます。

インフレーションチャート(出典:ONS)

ブラック・ウェンズデーの時に財務大臣だったノーマン・ラモント氏は、ERMから脱退したことについて「我々はインフレの低下に尽力し…そして成功した」と述べ、当時の決断の正当性を主張しました。なぜ彼はこのような主張をしたのか?それは1990年代に英国が不況に見舞われたのはERMのせいであるという考えがあるからです。事実、当時多くの英国人がERMを「恒久的不況メカニズム (Eternal Recession Mechanism)」と揶揄していました。

ブラック・ウェンズデーとブレグジット

2016年6月、現代版ブラック・ウェンズデーともいえる「ブレグジット」が英国の新たなリスクとして浮上しました。当時首相だったデーヴィッド・キャメロン氏は、EUに残留するのか?EUから離脱するのか?を問う国民投票を実施しました。結果は「EUからの離脱」でした。2005年当時、キャメロン氏はブラック・ウェンズデーの時のように英国経済を危機にさらすことは二度としないと語りました。しかしその11年後、同氏は自身が仕掛けた国民投票で英国経済に打撃を与えてしまったのでした。この時をさかいに英国政治は混乱状態へ陥り、2019年5月にテレーザ・メイ氏が首相の辞任を表明。その後、紆余曲折を経て同年7月、離脱強硬派のボリス・ジョンソン氏が新たな首相に就任しました。同氏は「合意なき離脱」も辞さない覚悟を示しています。

ブラック・ウェンズデーに代表される既存通貨や金融システムに対するリスクイベントは、暗号通貨のような新しい現代の創造物を生み出すきっかけとなりました。

ブラック・ウェンズデーの教訓

ブラック・ウェンズデーは英国と欧州の関係を一変させました。ERMの茶番劇と性急な単一通貨ユーロ導入の試みは欧州に対する英国の警戒心をあおり、それは現在でも英国社会に渦巻いています。事実、欧州連合(EU)に恨みを抱いている英国人は、「ブレグジット」という新たな戦場でEUと戦っています。

また、ブラック・ウェンズデーは様々な教訓も与えました。イングランド中央銀行(BoE)の独立性がいかに重要であるか、そして政府が講じる短期的な政策と中銀が講じる中長期的な政策の間には一線を画す必要があるということを英国人に教えました。また、金利を政策の軸に置くことの難しさもブラック・ウェンズデーは教訓として示しました。ERMの金利は欧州全体ではなくドイツを基準としていました。この基準は、他の欧州諸国にとって重荷となっていました。当時の労働党党首だったジョン・スミス氏はブラック・ウェンズデーの翌日、以下のように述べました。
「ERM危機の真の教訓は、『強い通貨を手に入れる前に、強い経済が必要である』ということです。」

ジョン・スミス氏が指摘した実体経済の状況を無視し、欧州統合への熱気や「一人は皆のために皆は一人のために(all for one and one for all)」という美辞麗句だけで突っ走ったERMが失敗に終わったのは、当然の帰結と言えるでしょう。

このようにブラック・ウェンズデーがもたらした教訓は様々ですが、最も重要な教訓は「人間は想定外のリスクを考えることができない」ということです。例えば欧州統合の熱気が渦巻く中、金利が1日で5%も急上昇するリスクや英国がERMからの脱退を余儀なくされるリスクは、当時の政策当局者の頭の中にはありませんでした。


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