株価大暴落はいつ起こったのか ー 暴落の歴史や原因を解説
これまで世界の株式市場は様々なリスクに直面し、何度となく暴落を繰り返してきました。ここでは、過去に起こった株価の大暴落と世界経済に与えた影響について解説します。
株価の暴落はなぜ起きるのか?
株価が暴落する原因は色々あります。中でも投資家の心理が悪化することによる暴落が過去何度も見られました。例えば、世界の経済に悪影響を与えるリスクイベントが発生すると経済の先行きについて不透明感が高まり、投資家の不安心理が高まります。いち早く将来のリスクを感じ取った投資家は保有する株を売却します。その売りが、別の投資家の不安心理を高めます。そして売りの連鎖となることで、最終的に世界中の株価が暴落します。
近年ではテクノロジーの発展により、世界の株式市場は電子取引システムのネットワークにつながっています。このため、ある国で発生した株価の暴落は、瞬く間に他の国の株式市場に波及するようになりました。
経済の先行きだけでなく、株価の『割高感』も投資家の不安心理をあおる要因です。長期にわたり相場が高騰したため、経済的なファンダメンタルズから大きくかい離した状況で何等かのリスクイベントが発生すると、『現在の株価は実体経済を反映していないのでは?』という疑念が投資家の不安心理をあおります。
『割高な株価を是正する暴落』というパターンは、多くの経済学者によって長年研究されてきました。しかし、そのパターンがいつ発生するのかを予測することは難しいとされています。現在の株価は適正なのか?それとも割高なのか?を正確に判断することが難しいからです。
しかし、あらかじめ暴落に備えることはできます。また、暴落に乗じてトレードする方法についても前もって考えておけば、取引チャンスをつかむこともできます。
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株式市場が経験した過去最大レベルの暴落
原因が何であれ、株式市場が大暴落すればその影響は世界の経済活動に大きな影響を与えます。しかし、その影響がどの程度続くかは暴落した原因によります。例えば、金融クラッシュは長期にわたり世界経済を後退させる要因となります。一方、投機的な取引による暴落は短期で終息します。後者の暴落を『フラッシュクラッシュ』といいます。
このようにひとことで暴落といっても、その状況は様々です。以下では、歴史的な株式市場の大暴落と世界経済の影響について解説します。
1929年:ウォール街大暴落
『ウォール街大暴落』は1929年10月24日、ニューヨーク証券取引所(NYSE)で起こりました。この暴落は、20世紀の歴史的な悲劇として有名です。
株価暴落の背景とその影響について
1920年代、欧米諸国の経済は工業生産の増加に伴い力強く成長していました。ニューヨーク証券取引所の株価は約300%上昇しました。この状況を見て強欲な投資家たちは、株式を売買すればもっと多くの利益が得られると考えました。そして株式市場に多くの資金が流入したのです。
しかし、熱狂的ともいえる株式の投資は『投機』となりました。当然、株価は経済や企業のファンダメンタルズからかい離していきました。そして10月24日、ウォール街の証券取引所で1,280万株の株式が売りに出されます。その膨大な売りにより株価は下落しました。そして売りが売りをよび、米国の株式市場は暴落しました。この時のことを『暗黒の木曜日』といいます。
10月29日、パニックに陥った投資家たちが我先にと株式を売却するため、ニューヨーク証券取引所に押し寄せました。この日の取引量は、通常の4倍に膨れ上がり、NYダウ工業株30種(ダウ平均)は12%以上下落しました。この暴落は『悲劇の火曜日』と呼ばれています。
米国の株式市場で起こった一連の暴落は、約10年に渡り続くことになる『世界大恐慌』が始まるきっかけとなりました。世界恐慌はこれまで好調だった欧米経済を急速に後退させ、都市では貧困と失業が蔓延しました。
1987年:ブラックマンデーによる暴落
1987年に起こった株式市場の大暴落を『ブラックマンデー』と呼びます。この時の暴落は香港、ロンドン、ベルリン、ニューヨークなど世界中の株式市場へ瞬く間に広がりました。この暴落は1929年のウォール街大暴落以降、1日としては最悪の取引日となりました。
株価暴落の背景と『1929年』との違いとは?
ブラックマンデーはドルの過大評価、金利の上昇、株式市場における投機的バブルの形成によってもたらされたと、一部の経済学者は指摘しています。1982年以降、米国の株式市場は上昇し続けていたため、株価が割高になっていました。
株価の割高感が意識され、1987年10月19日(月曜日)にダウ平均はわずか数時間で500ポイント以上、率について約22%の下落を記録しました。この動きはアジアや欧州の市場に伝播しました。
またブラックマンデーは、新しく導入された自動売買システムに原因があるとも考えられました。大規模な電子取引の概念はまだ新しく、その機能はブラックマンデーのような事態に直面したことがありませんでした。
1929年の株価暴落とは異なり、1987年の暴落は米国経済にそれほど大きな影響を与えませんでした。米国の連邦準備制度理事会(FRB)がすぐに対処に乗り出したためです。FRBは金利を引き下げ、貸し出しを増やし、公開市場での買い入れを行うことにより、株価暴落の影響が拡大することを食い止めました。FRBの対応が功を奏し、米国の経済はその後も成長しました。そしてダウ平均は、2年以内に暴落前の水準へ戻りました。
2008年:リーマン・ショックによる暴落
2008年9月の株価暴落は、日中取引でダウ平均が777.68ポイント下落したことから始まりました。のちに『リーマン・ショック』といわれる株価の暴落です。リーマン・ショックきっかけは、米国の議会が銀行救済法案を否決したことでした。
株価暴落の背景には何が?
2000年代半ば、米国の住宅市場は空前の好景気に沸きました。その土台となったのが、『サブプライム・ローン』でした。信用力が低く、通常であれば住宅ローンを組めない人を対象にした新しいタイプのサブプライム・ローンが急速に広がったことで、米国の住宅市場は活況を呈していました。
しかし2006年、この活況に陰りが見え始めました。各金融機関が保有するサブプライム・ローンのデフォルトリスクが高まったことで、金融機関の信用リスクが急速に高まったからです。また、銀行の貸出しが急速に萎んだことで金利が上昇したことも影響しました。これら一連の出来事により、多くの新規住宅所有者が債務不履行に陥る事態となりました。
そして2008年9月、当時第4位の投資銀行だったリーマン・ブラザーズが経営破綻したことを受け、事態は一気に深刻化しました。FRB(連邦準備制度理事会)は銀行救済法案を議会に提出しましたが否決されました。この結果、ダウ平均は777.68ポイント下落しました。その影響は瞬く間に世界の市場に波及し、世界金融危機へと発展しました。原油先物市場では、NY原油価格が2008年9月初めの1バレル当たり100ドルから、同月末には70ドル以下まで急落しました。
米議会は2008年10月に救済法案を可決しましたが、後の祭りでした。ダウ平均は13%下落。そして米国経済はマイナス0.3%成長に陥り、景気の後退が鮮明となりました。他の国でも景気が後退しました。
リーマン・ショックに対応するため、FRBが金融緩和政策を導入したことで2009年3月、ダウ平均は約6,594.44ポイントで底を打ちました。株式市場が完全に回復したのは2013年でした。
なお、2008年のリーマン・ショックは、下落のトレンドが非常に似ていたことから1929年の『暗黒の木曜日』と比較して語られることがあります。
2010年:フラッシュクラッシュ
短時間で相場が急変動することを『フラッシュクラッシュ』といいます。2010年5月6日、米国の株式市場でフラッシュクラッシュが発生しました。これを受け、プロクター・アンド・ギャンブルやゼネラル・エレクトリックといった大企業の株式時価総額が数十億ドル消失しました。この暴落(フラッシュクラッシュ)は、午後2時32分(ニューヨーク時間)に始まり36分間続きました。その間、これまでにないスピードで株価が下落しました。フラッシュクラッシュは相場に大きな影響を与えます。しかし、実体経済への影響はほとんどありません。この点が、これまで紹介した暴落と違う点です。
何が原因だったのか?
2010年5月6日の取引開始時点で、ギリシャの債務危機と英国の総選挙に対する懸念が株式市場で意識されていました。そして午後2時30分過ぎにフラッシュクラッシュが始まり、10分以内にダウ平均が300ポイント以上下落しました。S&P 500やUS Tech 100 指数など、他の米国の株価指数も急落しました。さらに5分後の午後2時47分に、ダウ平均は600ポイント下落し、下落幅は最大で1,000ポイント近くに達しました。
しかし下落は続かず、午後3時7分に相場は急速に反転していきました。結局、終わってみればこの日は3%の下落にとどまりました。この暴落の原因については、人為的な注目の入力ミス― いわゆる『ファットフィンガー』ではないかという説から違法なサイバー攻撃説まであり、今も原因が特定されていません。当初の調査では、1人の市場参加者が電子システムを欺いて有利な方向に動かす『スプーフィング』による可能性が指摘されました。
なお、この件について米国証券取引委員会(SEC)と米国商品先物取引委員会(CFTC)は共同の報告書を公表しました。その中でフラッシュクラッシュの原因は、市場の実勢と大量の自動売り注文が組み合わさった結果である可能性が高いと結論づけました。
2020年3月:OPECクラッシュ
2020年3月に原油価格が暴落しました。下げ幅は1991年以降で最大となりました。『OPECショック』と呼ばれているこの暴落は、世界最大の石油輸出国サウジアラビアが仕掛けた価格競争がきっかけでした。
激化したOPECとロシアの対立
2020年3月5日、OPEC(石油輸出国機構)は日量210万バレルから360万バレルへと減産幅を拡大し、これを2020年末まで延長することを提言しました。この提言の目的は、下で述べる『コロナパンデミッククラッシュ』による需要の急減に対応することにありました。しかし、OPECの非加盟国であるロシアは『米国に減産分の穴埋めの機会を与えることになる』と主張し、協調減産案の合意を拒否しました。このためサウジアラビアは、世界シェアの拡大を目的に原油の増産に踏み切りました。原油の需要が縮小する中での増産(供給増)となったことで、原油価格には急激に下落圧力が高まりました。また、サウジアラビアは原油の公式販売価格を8ドルから6ドルに引き下げ価格競争も仕掛けてきました。
一連のサウジアラビアの動きはOPECの協調体制を崩壊させ、2020年3月の北海ブレント原油は、高値53.90から安値21.65まで急落しました。一方、NY原油先物価格は、高値48.66ドルから安値19.27ドルまで急落しました。
ロシアは、アラブ産油国の行為が原油市場の暴落を招いたと非難。このことをきっかけに欧州市場重視のスタンスを鮮明にしていきました。
コロナパンデミックの影響と各国政府の対応について
2019年12月、中国では未知のウイルスに感染した肺炎患者が見つかりました。それから2週間も経たないうちに、最初の死亡事例が報告されました。2020年に入りこのウイルス(のちにCOVID-19と呼ばれる新型ウイルス)はものすごい勢いで世界に広がり始め、瞬く間に数十万人が感染。そのうちの約2%が亡くなりました。その後も感染の拡大と死者数の増加が続いたことで、世界の金融市場はパニックに陥りました。
コロナパンデミックに対応すべく、各国政府は大規模な財政政策を講じました。また、アメリカのFRB(連邦公開準備制度理事会)をはじめとした各国の中央銀行も金融緩和政策の導入に踏み切りました。一連の経済対策が投資家の不安心理を後退させ、2020年3月の下旬以降、世界の株式市場は再び上昇へ転じました。
しかし、株式市場が上昇しても景気の先行き不透明感はくすぶり続けました。コロナパンデミックを抑えるべく、各国政府は人の移動や企業の活動を制限する措置に踏み切ったからです。この措置により、一部の国では証券取引所が閉鎖する事態となりました。2021年も世界経済は回復基調にあります。しかし、コロナクラッシュから完全に回復するにはあと数年かかるとの指摘があります。
コロナパンデミックのクラッシュに直面した英国のFTSE100は、ブラックマンデーの時よりも大きく下落しました(損失額は1,604億ポンド)。また、米国の株式市場では2月19日から3月23日にかけてナスダック総合指数が29%、S&P 500が33%急落しました。
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